熊野川、創作落語
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桂 文枝・創作落語「熊野詣」で辿る日本人の心の原郷


写真 熊野速玉大社境内にそびえる樹齢千年のナギの大樹は、熊野権現の象徴として信奉篤く、道中の安全を祈り、このナギの葉を懐中に納めてお詣りすることが古くから習わしとなっていた。



明治22年の大洪水で流失してしまった熊野本宮大社旧社地・大斎原にて手を合わせた後、しばし休憩。敷地には、流出した中四社と下四社が二つの石祠として祀られている。
―さて、そこに現れましたのが、年の頃なら24、5、黒い帽子を粋にかぶりました比丘尼姿の女子はんでして、正式にはこの尼はんを熊野比丘尼と申しまして熊野のありがたい話を絵解きいまで言う紙芝居みたいなもんですな、その絵解きをしながら熊野信仰を広めたという、それはそれはありがたいお方―
川の古道は熊野詣の大動脈、語り継がれる説話伝承
その昔、熊野本宮参詣を終えた人は熊野速玉大社までを小舟に4〜5時間揺られながら熊野川を下ったといわれている「この川が川の古道と称されるのは、いにしえの巡礼者にとって熊野詣の大動脈でもあったからなんですね」と新宮市熊野学情報センター準備室長の山本殖生さん、それはありがたい比丘尼さえも山越えの際、足を取られたという険しい岩場の「比丘尼ころび」や熊野権現が鬼退治をしたという「骨島」はたまた熊野権現と天照大神が昼食を食べながら囲碁を楽しんだという「昼嶋」など、川のそこかしこに説話伝承がつきまとっている、「舟で行き来する舟頭たちの語った話が、きっと長く語り継がれてきたのでしょうね、このように文化としての景観をもつ場所には文枝師匠の人情噺としての熊野詣のように必ず人と人との心のふれあいが潜んでいるんです、言葉で情景を空想させるのは、いつの世もすごい仕事だと思う」と山本さん。師匠の落語を聞いた夜、私自身が鳥になって空を飛んでいる夢を見たと打ち明けてくれた菜穂さん。
古典落語の世界では江戸時代にできた噺にいろんな枝葉をつけ心もち長くなったものが少なくないと師匠はいう「落語は木の枝みたいに人が接いで接いでやっていくほうが噺として面白くなることが多いんです、平成にできた熊野詣が時代を超えて古典落語として語られる日がくるよう、これからもまだまだ練っていかなあかん、これが私の正直な気持ちです、海外公演にもちょくちょく行きますけど笑いのツボは世界共通なんですね、ほんまに熊野の神様に大きな使命を授かったと思うてます」大斎原で文枝師匠が熊野詣を演じる日が来ることを説に願うばかりだ。
―さて、ほどなく到着しましたのが、川口近くに鎮座します熊野速玉さん、ここにも十二の神様がお祀りされておりまして、二人真面目にお参りをすませます、―お父つぁん、お父つぁん!それ何でんねん、手に持ってるもん?―いや、何や知らんけどもな、巫女はんがどうぞ持っていんでおくれやすちゅうてな、くれはったんや―

文枝師匠が熊野を訪れた最初の場所である妙法山より、那智の浜の方角を見下ろす。熊野信仰と補陀落渡海のことが思い出された。

自然への感謝を表現するための参詣道。自ら出向くことに意義がある

高さ133メートル、幅13メートル、白い飛沫を舞い落とす滝が目前に迫ってくると、いよいよ「熊野那智大社」である。神々しいまでの大滝が自然への畏敬の念をいっそう深くさせるのだろう。滝壺拝所に雪のように舞う水飛沫の洗礼を拭う人はいない。
熊野那智大社宮司の朝日芳英さんは、「地球上に水があったから緑が育まれ、森が生まれたのですね。まさしく水は生命の母。自然の恵みが豊かに残る熊野へは、拝むというより、詣でていただくことが何より。自然への感謝を表現するために出向く、つまり詣でることに意義があるのです。参詣道はその土俵にほかなりません」と説く。
 そして時代が要請した世界遺産登録は、自然の中に心を見る日本人の宗教観を包含した文化的景観を後世に遺していくステップであると力を込める。「注目されることで詣でる人が増え、詣でた人がまた、その素晴らしさを伝えていく。世界遺産登録は、この連鎖の始まりなんですね」と師匠と菜穂さんは深くうなずく。

心も体もリフレッシュ。熊野には精神的な座標軸がある

山の中腹にある熊野那智大社から、もう一踏ん張り上をめざせば、女人高野と呼ばれた妙法山が待ち受ける。「この山は私が熊野に足を踏み入れた最初の場所。かれこれ14年ほど前、修験者の方に同行させてもらったことがきっかけで、以来、熊野を訪れる機会が増えたんです」
 師匠は熊野の奥深さを開眼させられたという山の頂きに立って、弾む息を整える。亡くなった父母に出会えるという伝説から、霊がのぼるともいわれている妙法山。山岳信仰が息づく山は眼下に勝浦湾をおさめ静寂だけを奏でる。
クライマックスは本州最南端・串本町にある紀伊大島。「水平線を見ていると、この向こうに何があるんだろうって思ってしまう。父のエネルギッシュな好奇心は、熊野が湛える原風景に培われたのかもしれませんね」と菜穂さんは遠くを仰いだ。
 仕事に多忙を極めていた父が、家族の絆を取り戻すため、あるいは一人の人間としての居場所を失ってしまった苦しみから這い出すためだったかもしれないけれど、そのとき父がハワイに用意した家も山と海に囲まれた、まさに熊野的なロケーションの中にあった、と菜穂さんは述懐する。
 1990年、中上健次さんによって設立された「熊野大学」は、毎年8月に夏期セミナー開催を続行している。「私たち家族にとっての1年の始まりは、まぎれもなく8月。夏期セミナー参加を兼ねて帰ってくる熊野ですべてをリセットするんです。東京に戻るときは、心も体もリフレッシュしてピカピカに(笑)。私の陶芸がざんぐりした熊野のイメージを求めるように、精神的な座標軸も熊野にあるのです。私の中で父が生き続けているように…」

―ほな、こないしまひょ、わたいがお父っつぁん背たろうて上がりますわ、それやったらよろしやろ! ……お照、聞いてくれたか! えー、いつまでも頼んないと思てた倅が、わしを背たろうてくれるやなんて。八咫烏様、これもみんな、熊野の神様のお陰でございます!―

さてさて、お後がよろしいようで。
和歌山県広報室/提供
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創作落語「熊野詣」 桂文枝師匠渾身の意欲作
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